二つに分けられている事は

人の世の中にある物事というのは「ふたつの違うもの」に分かれているものが実にたくさんあると思う。

善と悪
男と女
大人と子供
優等生と劣等生
正解と間違い
集中とリラックス
友情と愛情
美味しいと不味い
好きと嫌い

などなど、まぁ沢山ある。

そういうことに出会ったときには、その二分割をまず疑った方が良いように思うようになった。二つに分けようとすることで、その狭間にある部分と言うものが0であると誤解して認識されていく。

男と女にしても、男の中にも女らしいと言われる部分があるし、女の中にも男らしいといわれるような性質は誰にもある。割合が違うだけのようなことが沢山ある。
自分が歳をとってみれば分かるけれど、年齢的には大人に分類されているけれども、大人の中には子供の部分がまぁこれは相当の割合で残っているように思う。

善と悪なんてもので考えれば、二つに分けることで争いが生まれたり、殺し合いが始まるような恐ろしいことに繋がっていく。ニュースを見ていて「悪い奴がいるものだ! けしからん! こんなやつは死刑だ!」なんて思っているときは、もう相当に危ない。それを善の立場から見ている自分に気が付き、自分の中にも悪側に立ってしまう可能性はないかを自問するのが良いように最近では思う。

「どっち?」という問いの状態に対して「どっちもある!」っていう回答が自分にとって一番しっくりくるんじゃないかというのは、いつでも考えていきたいと思う。
だって自分の中って複雑に記憶や経験や感情が絡み合っていて、そのすべてが二択を選んで作られてきたわけではないのだから、ほんとうは簡単に「どっち」って言えないんだよって。