言葉に振り回されると思う事

言葉というのは、非常に融通が利かないと思うことがちょいちょいある。

例えば「不幸」という言葉が、指し示す意味内容は人によって想像するものが全然違うような気がする。なので「幸せ」なんて言葉は本当に何を指しているのかさっぱり分からない。「幸せになりたい」なんて言った日には、もうどうなりたいかなんて話している人のイメージと聞いている人のイメージが100%一致することなんて無いだろう。

だから「幸せになるために」とか、そういう謳い文句の本やらチラシは、もうそれだけで残念でした! と思っちゃいます。

なんて天邪鬼なだけじゃないか! と言われてしまいそうだけれども、言葉には具体的ではない事柄をさしていて、それだけに相手が受け入れやすくなる魔法のワードというのがいくつもあると思う。プラスでもマイナスでも。

「愛」なんて言葉は、とっても広いプラスだろう。「世界中に愛があふれる世界を」なんて言ったら、とってもいいことを言っている感じになりがちで、中学生くらいの作文で、このワードで締めたら先生もなんとなく納得しちゃうんじゃないだろうか。

「成功」という言葉も怪しいものだと思うのだが、『成功の秘訣』とか『成功する人はやっている』なんて本が多いのも、なんだかよく分かんないけれど成功するのは良いことだという受け取り手の土壌ができているからだろう。

「病気」なんていうと、もう絶対的にマイナスなものに思えるが、じゃあ病気ってどんな状態なのかというと、人によって全然違う。虫歯は病気にはいるのか? 風邪くらいは病気に入らないのか。日頃悩んでいる片頭痛は病気か。

なんて感じに色々思いつく。

言葉っていうものには、言葉として人に聞こえる状態に出る前に、言葉を発する人の中にある状態があって、それは頭の中かもしれないし、お腹の中なのかもしれない。その出てくる前の言葉の元みたいなものが凄く大事だと思っている。そこに触れることが出来きたような感覚のある会話が達成されると、人は人を信じることができるんじゃないかなぁ。

そんなことを思っているから、自分の状態を言葉で表して悩みに縛ることは止めようよって思う。今、不幸だなぁ、と思っているときはしんどいもの。まぁなんかこういう状態だよ、のほほ~ん。ってできれば最高なんじゃないかなぁ。