お手の仕事の一環として、僧侶向けのグリーフケア研修会に参加しました。

グリーフケアとは、死別への支え、みたいな意味を持ちます。

研修会の主な内容は、私が嫌いなワークショップ形式による集団での学び合いです。
この手の研修は、市役所時代の新採研修を思い出して、超憂鬱なんですよね・・。

一般社団法人リヴオンという団体の女性2名が先生で、最初の印象は若い先生で、なんだかふわっふわした研修会になるんじゃないかなぁという不安でした。
お二人の先生は家族を自死で亡くしている、交通事故で亡くしている方で、自分の経験から団体を立ち上げた方たちでした。
ボランティアをしていても思いますが、自分の辛かった経験をプラスに転換しようと、活動をしている人達は芯が通っているのでやはり違います。
最初の挨拶からすっかり引き込まれてしまいました。
研修の内容については今回は置いておきます。機会があれば感想を書きたいと思います。

私が研修を受けた経緯が、自分にとっては大事なものでした。
前の仕事を辞めて3年が経ちますが、今でも前の職場でお仕事に誘っていただくことがあります。ありがたいことです。
今回もその職場でアルバイトに誘われ、挨拶に行き、ひとしきり色んな人とお話をして帰るときに、仲が良かったパートさんに声をかけられました。
「実はね、主人が亡くなったの」
帰りがけです。ぽつりとつぶやいたその言葉が胸に重く響きました。
その時、その場で自分が何かは言ったと思います。よく覚えていませんが、そのまま喫茶店に入って「何も言葉が思いつかない」「もっと力が欲しい」と思ったことだけは強く覚えています。

その後メールで「お寺に勤めているって聞いて言いたくなったのかも」という気持ちを聞き
「今度ゆっくり話しましょう」というやり取りをしたものの、本当にお寺にいるだけで、仏教についてもぼんやりとしか知らないし、人が亡くなるという事実の近くで仕事をしているけれども、それに対して何の準備もできていない自分を痛いほど思い知りました。

頼ってもらえる以上、それにこたえられる自分でありたい。

そういう思いで、大きな期待を寄せてグリーフケア研修に参加しました。
しかし、研修を受けたから、深い悲しみの中にいる人の役に立てるとか自信を持って言葉をかけられるようになる。なんていうのはやっぱり無いのだと気づくことになりました。

初回の研修での主な内容は
「グリーフは人によって違う」
だから、色んな形の支援があるし、僧侶は何ができるか考えてください。
というものだったと思います。

もちろんそれを「知る」ことで、新しく考えが浮かびますし、整理もできます。
でもそれは、大半の参加者が求めていた安易な解決などないということを伝えてもらっただけだったようにも思います。
また「死」や「弔い」というものはどういうものであるか、お寺の人間が改めて自覚していかなければいけないと言われているように思いました。

そこで、私が感じたズレが、とても大事なものだと思っています。
「仏教や各宗派の教えにある、死生観や言葉というものが、本当に悲嘆に暮れている人を救うのか?」
です。

実際に私はこの研修の前日に、御主人を亡くされた知り合いの話を聞く機会がありました。
お寺にいる人だから、という期待を多少背負ってその場にいました。
その時に自分の知識が不足しているから、信仰が浅いから、という点を考慮したとしても、その時その場で「仏教ではどう考えますよ」なんて言うことが、その人に響くとも救うとも思えなかったのです。
そこで響くような言葉を持つこと、それがこれからの自分への課題だと今感じています。

これからの研修で何か見えればいいのですが、答えは自分で見つけるものだとも感じています。