御 布 施

お坊さんになって、初めてお祝いを頂いた。

おめでとうと言ってくれる方は、大勢いてくださったけれど、お祝いを頂いたのは初めてだった。

いやいや、そんな祝ってもらうようなことじゃないです。申し訳ないと挨拶をして、いただいた金額を見てびっくりした。

そこからは、もう、ただ申し訳ない。

そういうつもりじゃないんです。とか、そんな立派なものじゃないんです。とか、泣きたい気持ちで一杯だった。

その方とは10年以上のお付き合いがあって、とても親しくさせていただいている。どういう暮らしをされていて、どんな仕事をして、つつましやかに生活されていることも良く知っている。そういうところをとっても好ましい方だと思っていた。

だから、その額が、その方にとって、どれほどの大きさか何となくわかる。ちょっと、気まぐれで出せるようなものではないのだ。

そう思えば思うほど、お祝いをしてくれた気持ちの強さが感じられて、ますます涙が止まらなくなる。

そして、そんな気遣いをいただけるような自分ではないような自覚に、頭が下がる。恥ずかしい。申し訳ない。そんなに思っていただけることが、ありがたすぎて心が苦しい。

しきりに恐縮する私に、さらにこう仰いました。
「もらい慣れることも必要な修業みたいなものかもよ。お寺の人って、すっと貰って、すっと渡してくるから、そういう慣れもこれからは大事だよきっと」

そういう気まで使わせてしまっている私は、本当に未熟の極みでした。

いただいたお祝いを通して、お布施の心というのはどういうものかを感じられた気がします。お布施は尊い。金額の大小ではない、精一杯いただいた気持ちがありがたすぎて、それを受け取る自分は常に問われていなければいけない、僧侶であることを通して、お金をいただくことを少し恥ずかしいくらいに思わなければ、ただの商売なんだと心に突き刺さった。

なので、お布施を頂くということに慣れてしまっているお坊さんは尊くない。そう感じます。繰り返していけば、慣れてしまうのが人間の性だとも思いますが、忘れちゃいけないことなんじゃないでしょうか。お布施はとても尊い。

私はきっと、このお祝いをずーっと大切にとっておくと思います。この気持ちをずっと大切にとっておけるように、そういう願いで。