続く虐待事件に思う

昨年末から幼児の虐待死の事件が世間をにぎわせている。

こんなにかわいい子がなんて酷い目にあってしまう世の中なのか、何故救えない社会になっているのか。
みたいな切り口でマスコミが細かい情報を次々と流している。

同じような事件が起こらない為に、現状を分析し、子供を守れる社会を作り上げていくことが大切だ。

というような最大公約数みたいな意見が、意見の落としどころなのだろうが、なんだか違和感があるというか気持ち悪さみたいなものを感じる。

酷い事件を知り、憤りを感じ、亡くなった子を可哀想だと思うのは「ふつう」の感覚だと思う。人と人が温かい繋がりをもてる為の人に備わった気持ちのような。

そしてその反面で、虐待を働いていた親を憎い、罰せよ、と思うのも「ふつう」の感覚だと思う。

で、直接的に親を死刑にしろ! というのは倫理上問題がある。
じゃあもう少し広い視点で社会を変えろ! というのはなんとも「おとな」の意見という気がするし、角も立たないように思う。

ここからが、ひっかかっていたところになる。

弱い子供を救うのが「よいこと」だとして、それを成すのは自分たちではなくて行政ということになる。

児童相談所に勤めている人は、子供を救うために、もっとちゃんと働け。
と短絡的に言うのは違うと思う。

子供を救うために、それを救う人が不幸になっていくほど勤めなければならないのは、今の不幸な社会を作っている考え方そのものではないか。

今でも児童相談所の職員さんは、他の公務員なんかと比べ物にならないくらいプライベートな時間もなく働いている。異動先で嫌がられる職場で、一年で異動を希望する人ばかりだし、一年持たずに病気になったり、辞めてしまう人が多いような状態らしい。
児童相談所の副所長さんと飲む機会があって話を聞いていた限りでは、ちょっと普通じゃないくらい精神的にぶっとい人じゃないと勤まらないし、そうして勤めていても救える子供の数は呆れるほど少ないらしい。

法律の整備とか、各機関の連携がどうとか、やるべきこと色々とあるだろうけれど考えなければいけないことはもっと違うところにあるような気がする。

各家庭が密室化してしまった現代社会であるとか、こういう事件を自分たちとは関係のない特別な精神を持った人間の悪行であると扱う風潮なんかに疑問を持たないといけないんじゃないだろうか。