聞法は自分だけのこと

聞法をするにあたって、何度も何度も住職に注意されてきました「仏法を聞くというのは、自分が良くなるためにするとか、したからよい自分になるということではない」と。

分かっているつもりで、分かっていないんだなぁと、分かりました。

何十年も聞法をしている先輩に対して「ずっと聞法をしてきたくせに、そういう人を区別し、上下をつけるようなことをするんだ」と反発する心がおこる事がありました。

そして「ずっと聞法をしていたってああいう振る舞いをする先輩がいるのだから、自分だって何十年聞いたってなにも変わりはしないんじゃないか」そう思いました。

まさにこれが聞法を手段としている自分の姿でした。

誰がどういうふうに聞いていようが関係ない。誰の話を聞こうが、どんな立派だと言われている人の話を聞いたことがあろうが関係ない。自分がどう頭で理解するのではなく、自分の身で受け止められたかだけが問われるのが本来です。

それが全く分かったつもりで分からないのです。この人の話を聞いてりゃ間違いないとか、沢山聞いているから立派な人だとか、そういう楽なものを求めている自分がいるのです。

なのでまずはいつでも「いいお話が聞けました」というふりをするのを辞めるところからしてみます。法話の後に「とても為になりました」なんて言うのが定番みたいになっているますが「為になる」って何? 「為」ってなんだ? と、そういう定型文の楽さを疑わなければいけないと、そう思います。

御 布 施

お坊さんになって、初めてお祝いを頂いた。

おめでとうと言ってくれる方は、大勢いてくださったけれど、お祝いを頂いたのは初めてだった。

いやいや、そんな祝ってもらうようなことじゃないです。申し訳ないと挨拶をして、いただいた金額を見てびっくりした。

そこからは、もう、ただ申し訳ない。

そういうつもりじゃないんです。とか、そんな立派なものじゃないんです。とか、泣きたい気持ちで一杯だった。

その方とは10年以上のお付き合いがあって、とても親しくさせていただいている。どういう暮らしをされていて、どんな仕事をして、つつましやかに生活されていることも良く知っている。そういうところをとっても好ましい方だと思っていた。

だから、その額が、その方にとって、どれほどの大きさか何となくわかる。ちょっと、気まぐれで出せるようなものではないのだ。

そう思えば思うほど、お祝いをしてくれた気持ちの強さが感じられて、ますます涙が止まらなくなる。

そして、そんな気遣いをいただけるような自分ではないような自覚に、頭が下がる。恥ずかしい。申し訳ない。そんなに思っていただけることが、ありがたすぎて心が苦しい。

しきりに恐縮する私に、さらにこう仰いました。
「もらい慣れることも必要な修業みたいなものかもよ。お寺の人って、すっと貰って、すっと渡してくるから、そういう慣れもこれからは大事だよきっと」

そういう気まで使わせてしまっている私は、本当に未熟の極みでした。

いただいたお祝いを通して、お布施の心というのはどういうものかを感じられた気がします。お布施は尊い。金額の大小ではない、精一杯いただいた気持ちがありがたすぎて、それを受け取る自分は常に問われていなければいけない、僧侶であることを通して、お金をいただくことを少し恥ずかしいくらいに思わなければ、ただの商売なんだと心に突き刺さった。

なので、お布施を頂くということに慣れてしまっているお坊さんは尊くない。そう感じます。繰り返していけば、慣れてしまうのが人間の性だとも思いますが、忘れちゃいけないことなんじゃないでしょうか。お布施はとても尊い。

私はきっと、このお祝いをずーっと大切にとっておくと思います。この気持ちをずっと大切にとっておけるように、そういう願いで。

得度いたしました

この度、令和二年八月四日に東本願寺にて得度式を受け、横須賀市は長浦にあります真宗大谷派寺院長願寺の衆徒に加わらせていただくことになりました。

これから長願寺がご住職の理想とする真宗寺院であるように、微力ではありますが、尽力いたします。

僧侶としても一個人の人間としても未熟な私でありますが、喜び、泣き、悩みながら、ご門徒の皆様と共にお寺を作ってゆければいいなと思っております。

また今後もこれまで変わらず市民活動の場に身を置き、多くの方と共に悩み歩むことを続けていこうと思います。

坊さんになるということ

なんで坊さんになるかというと、おそらく9割以上の人は家が寺だったからという事だと思います。そして残りの1割の人は色々と語るけれどもようやくすると生きずらかったからということになるんじゃないかと思います。勝手な想像なので違うかもしれませんが。

私も頻繁に「なんでお寺の出身でも何でもないのに、お坊さんになるなんてとんでもない一大決心をしたのか教えてほしい」と言われます。そして困ります。お話をするようにいくつか「これこれこういうことがありまして」というエピソードはあるのですが、自分自身の中ではそんな清水の舞台から飛び降りるような覚悟で目指したわけでもなく、明確な目標や、世の中をよくしてやるという志があったわけでもありません。なので色々語ったところでようやくすると、社会生活で行き詰る中で落ち着くのが仏教の世界だったとか、そういう程度です。

暁烏敏という有名な先生が「わしは日本中が坊さんになってくれたらいいと思ってる」と言ったそうです。

それを聞いて、なるほどなぁというか、ホッとしたような気持ちになりました。坊さんになるというのは実際には特別な事ではないと思うのです。なろうと思えば寺に生まれていなくてもなれるし、求めていれば開かれている世界だからです。出会いや巡りあわせ次第では簡単ではないかもしれませんが、私自身の経験からするとなんとかなる程度の難しさだと思います。

僧侶になるというのは資格を得るわけですが、その資格というのは、いわゆる運転免許証と同じような意味合いで資格と言えば、お経が読めるということでしょう。あとはある程度の知識と人物であると認めらえる程度の能力の証明でしかないと思います。

普通の資格は「自分+能力」の形の証明です。自分に特定の技能や知識が付加されているというのが資格です。

ただ僧侶の資格に関しては「自分(僧侶)」という性質だと思います。自分に知識や能力が足される形ではなく、自分の部分が試されているという形です。

なので暁烏先生の言葉でいえば、日本中のみんなが自分自身を問い直して試して生きていくようになればいいなということじゃないかと思うのです。

得度するというのは「暮らし方」ではなくて「生き方」を問題にしていくという決心だと教わりました。何をして生活していくかを重視するのではなく、何をしていてもどう生きていくかを重視する生き方です。そういう風にあろうと決めたというのが私自身の得度であって、だから人に御披露するようなエピソードも志もないというのが本当のところのように今は思います。

宗教は扇の釘のような教え

私たちは生きる中でいろんな顔を使い分けています。

親に育ててもらっている時は子供の顔、学校に行ったら友達の中での仲間の顔、結婚をすれば夫の顔・妻の顔、子供ができたら親の顔。いろいろあるわけです。

その色々をこなしながら、本当の自分って何だろうとか思ったりするときがあります。なんの役割も割り当てられてない自分は一体どんな人だっけと。

色んな自分を集めてまとめて居る自分が居なければ、もう自分というのはバラバラになって、心が壊れてしまうんじゃないでしょうか。その色んな自分をしっかりとひとつにしてくれるのが宗教だと言います。

それは扇の一枚一枚を一か所で留めている釘のようなものだと。その釘がなければ、扇は扇にならない。なんの役割もしない。扇の一枚一枚は喜怒哀楽様々な自分だったり、親子夫婦恋人友達色んな自分をあらわします。そういう様々な自分をひとつ要としてつないでいくのが宗教です。

自分が自分であることを形作る教えということでしょう。それは言い換えれば、自分が自分の足で人生を歩いていくための教えということかもしれません。宗教など信じない自分は無宗教だという人が増えている今の日本で、居場所がない、生きずらいという人が多いのは、世間のせいではなく自分の要がないことが原因であるように感じます。

コロナの中で真宗僧侶は何を思えばいいのだろう

今、人の中に、無力さと一緒に悲しみが積もっている気がしています。でもその悲しみって、コロナ以前はなかったのかというとそうではなくて、もともとあったものの気がします。人って何だろう?人ってこれでいいのか?というような。だから経済を立て直したらハッピーってことじゃないのは、みんななんとなく分かっているように思います。


積もっている悲しみに対して、ニュースやSNSから流れてくる言葉が追い打ちをかけているようにも感じています。だから、あかるさが与えられれば、それだけで結構ちがうんじゃないかなぁと妄想しています。悲しいねって言ってお互いの目を見て微笑む。そういうことがあるだけで、全然違うんじゃないなぁと。

親鸞さんが、どこまでも自分は凡夫だと、同朋の皆さんと同じ立場なんだと。我が親友と表現してくれる世界感がとても好きです。心がギュっとつかまれます。涙がでそうな感覚になります。この感覚はもうなんだか無敵だぞみたいな風に思います。

親鸞さんの優しさって、悲しさと同じもので。悲しみがあるから優しさが生まれることに、希望があって。なんかそんなことを思っています。

ZOOM会議が増えましたがこんなことおこるんじゃないかという想像

・上司が指示し、部下は仕事のある部分を引き受けるだけの構造。ますます歯車になる。


・部下同士のコミュニケーションがとられなくなる。孤立。


・同時に発言することが困難で、雑談の中から生まれる発想がない。


・思っていることを発言できない人がさらに増えて、リスク管理がおろそかになり結果クレームが増える。

・雇われ人は仕事をする人としない人の差がさらに広がる

クリエイティブな仕事などでは、会議ってある程度コミュニケーションを蓄積することで、仲間意識ができてそれに好意的に動こうという思いが生まれるような側面があったと思うんですよね。

だから仕事っていうのは人を幸せにするとか仲間を幸せにするとか。人に認められるとか仲間にみとめられるとかそういう部分が大きかったように思えて。

そういう部分が希薄になると、いよいよ仕事って作業になっていくような気がします。作業になると、それをつきつめるとAIにやらせるほうがいいということになる気がします。

そのうち僧侶もAIにとってかわられる気がします。宗派問わずオンラインでお葬儀!遺体は送るだけ!とか、ね。笑えないなぁ。

コロナ禍で中学生のマスクに思う

コロナウイルスが世間を騒がせています。そんな中で中学生が612枚の手作りマスクを山梨県に寄贈したというニュースがありました。マスクを作るためのガーゼやゴム紐などの材料は、お年玉を使って買い揃えたという話に、暗いばかりの毎日に暖かい気持ちを頂きました。

一方、静岡では県議員が2000枚のマスクを転売し、888万円も売り上げ問題になりました。問責決議案が可決すると、辞職は考えず反省して議員として恩返しをしていくと宣言したそうです。同じ大人として恥ずかしい!と批判する私の中にも、自分だったらお年玉で人のためにマスクを作ったりできないし、マスクを大量に持っていたら888万円儲けたいという自分がいることを知らされます。非常時にこそ、どこに立って生きているのかということが問われてくるのでしょう。

旧い写真と老い

家の片づけをしていて、古い写真ができたんです。
母が笑顔で、3歳くらいの私と並んで写っている写真なんですが。
それを見て、「あー、母さん若いなぁ」「希望で満ち溢れている顔しているなぁ」
「どんな気持ちで居たのかなぁ」とか思ったんですね。
あとは「俺かわいいなぁ」とか、思ったんです。
でもしばらく見ていると、なんだか、気持ちがざわざわしてきて、落ち着かなかったんですね。心臓が締め付けられるというか、苦しい感じがして、とっても切ないような気持になったんです。その写真をそれ以上見ないようにしまってしまったんです。
もう見たくないというか、見ていられないという気持ちだったんですね。

それでなんで、そんな気持ちがしたのか後から考えたんです。
その写真には若いころの母と幼い自分が写っています。
それこそ、今の私よりも下の年齢の母が写っていたわけです。今、母は存命でもう70代中盤になります。
その写真の母と、今の母がなんだか違う人物のような気がして、すっと繋がらなかったんです。私は同居していまして、毎日会っていると日々歳をとって老いているなんて気が付かないんですよね。まぁ、なんだか、少しずつ動きがのんびりになるとか、細かいことが不器用になるとか、そういったことで親が年取ってきたんだなぁと思うことはあるんですけど、それは日常の延長にあることで、そんなに老いを感じることではないんです。

それが30数年前の写真の姿を見ることで、歳をとったこと老いたことを痛烈に感じさせらえたんですね。まぁ30年もすれば誰も歳をとるわけで、自分なんてあんなにかわいかったのが、こんな残念になっちゃうんですから。
親の老いを認められないというのは、いつまでの元気でいてほしい、いつまでも死ぬことなんてない。という自分の中にある思いの表れだと思うんです。
それは突き詰めれば、自分の老い、その先にある死というものを、自分には関係ない。自分だけは違う。あるとしても全然先の話で、今は関係ない。
そういう自分が目をそらしているものを突き付けられた感じがしたんだと思うんです。
老いという現実を意識させられた。
写真の頃は30歳、今は70歳、40年経っているわけですから、今から40年経ったら110歳。生きているわけがないんですよね。40年もあったら私自身が生きているかも怪しいですから。
老いること、その中で病気をすること、そして死ぬこと。
昔の写真を見て、せつない気持ちになった中には、人が避けられない老病死を見て、それにちゃんと向き合えない自分が浮き彫りになったと思います。

自分では多くを望まず、つつましく生きているつもりでも、やっぱり根っこの方では何でも自分の思うとおりになると思っているところがあって、今できなくても努力すれば思い通りにできる。とかそういうのが染みついているんだなぁと思うんです。
だから、老病死のような絶対に努力でどうにかなるものではない、命の本来の姿に、胸が締め付けられる気がするんだと思うんです。
それは亡くなっていく悲しみでもありますが、いつまでもあって、思い通りになるものではないということの気づきによって、ちゃんと扱えるというか、丁寧に生きられる希望のようなものだとも思うんです。

父の庭

庭の雑草を抜いている時 ふと父の言葉を思い出した

「雑草という名前の植物はないんだよ」

そう言う父は 自分の家の狭い庭を 植物だらけにしていた

家族として 近所の人から見栄えが悪いことや

蚊や蜂などの虫が多いことに 不都合を感じていた

段々と年老いていく父に

「お庭の植物の面倒を、私では見切れないから元気なうちに少し綺麗にしておいて」

と私は言った

それから父は 少しずつ 本当にすこしずつ 庭の植物を減らし

私の眼には雑草だらけに見えていた庭が 私にとっての庭らしい姿になった

私が雑草とひとまとめにし 価値が無い 邪魔なもの とした命を

父はどういう気持ちで摘んでいったのだろう

父は私が病気で動けなくなった時も 仕事をできなくて脛をかじり続けていた時も

「ちゃんとしろ、がんばれ、はたらけ」

とは言わなかった

雑草も そこに生きる命 そう感じる父の優しさで私は守られていた

人に褒められる綺麗な花を咲かせなくても 大事にされていた

抜いた雑草を 父の部屋にある 植物辞典で調べてみる

私の手の中には 仏の座